荒井退造氏慰霊 支部長挨拶
荒井退造氏 慰霊 支部長挨拶
明治大学校友会沖縄県支部長 宮里博史 2018年8月18日
本日はご多用の中、又暑いなかお集まりいただき誠にありがとうございます。
荒井退造さんは1927年明治大学専門部を卒業なされており、我々にとって大先輩になります。本日は校友会沖縄県支部総会の日でもあります。支部総会開催前に支部役員一同が出席して荒井退造さんの終戦間際に果たされた功績を後輩である我々は忘れてはならないものとするために支部総会の前に毎年慰霊を行うことにしました。
また、昨年11月18日には「第53回全国校友大会」を沖縄で盛大に開催し、大会行事の一つとして荒井退造さんの慰霊祭を関係者多数参列の下、実施いたしました。
荒井退造さんの功績は今では多くの方に知られるようになりましたが、つい最近までは、大学関係者だけでなく一般的にもほとんど知られておらず、沖縄での全国大会を機に全国の校友にも、「沖縄の島守、又は沖縄の疎開の父」として紹介できたことは大変良かったと思います。
あらためて、荒井退造さんの経歴を紹介いたします。
1900年9月22日 栃木県宇都宮市にて出生
1915年 清原尋常高等小学校高等科卒業
1920年 宇都宮中学校(現宇都宮高校)卒業して
上京
1923年 高千穂高等商業学校を経て警視庁巡査を
拝命。明治大学専門部に入学
1927年 苦学をして明治大学専門部卒業、高等文官
試験行政科合格
1932年 警視庁警視拝命、麻布六本木警察署長等歴
任。福島県、山口県、福岡県、長野県で奉
職
1943年 福井県官房長から沖縄県警察部長拝命
1945年 知事として着任した島田叡氏と共に、多く
の県民を県外、北部に疎開させ約20万人
以上の命を救ったとされている。
1945年5月25日 内務省宛次の電文を発信「60万県民ただ
暗黒なる壕内に生く 此の決戦に敗れて
皇国の安泰以って 望むべくも無しと信じ
この部民と相共に敢闘す」
1945年6月26日 島田叡県知事と共に摩文仁の壕を出て以後
消息不明
1951年6月 島田叡氏、荒井退造氏の終焉の地を示す碑
と県庁職員の御霊を祀った「島守の塔」が
建立
終戦間際の過酷な状況の中で、県民の生命、安全、食料確保、疎開に尽力されたその使命感、責任感あふれる姿勢は、指導者、公職にある人の鏡とも言えます。
こうした方が大先輩の校友であることに我々後輩は誇りとするものであります。
現在の平和と繁栄がこうした先輩方の尊い犠牲の上に築かれたものであることを忘れてはなりません。今後とも、その功績を伝え続けてまいります。
(以上)